本年度は(1)惣町的一揆の社会経済構造及び正当性意識に関する事例研究、の残された課題と、(2)天明期の全国的都市騒擾の地方的展開に関する事例研究、について実施した。 (1)については、まず研究史上でも惣町的一揆の典型事例とされる1778年日光惣町一揆(前年度の補充)・1768年新潟明和騒動・1783年天明青森騒動の史料調査を実施した。とくに、天明青森騒動については騒動の実態に関する新史料を発掘でき、訴願の後の惣町運動が打ちこわしを強制力とした米改めを行動の中心とするものであったことをあらたに解明した。そして、この打ちこわし→米改めが惣町的規模で実施され米穀安売公売制が築かれるパターンは他の多くの地方都市騒擾の事例でも確認できることが判明しつつあり、米騒動型の惣町的一揆の基本形態として位置づけられるとの見通しを得た。また、1769年松山戸締め騒動で典型的にみられる惣町戸締め(=商売停止)の行動様式も、藩の町方からの借銀の棄損や御用金などの賦課に反対する惣町的一揆の基本形態として位置づけられることを、富山・高岡・小松・萩の各騒擾の史料調査により検討した。 (2)については、まず富山藩・広島藩の江戸藩邸記録の検討から、天明江戸打ちこわしの際に江戸藩邸の足軽・小者らも扶持米をめぐる騒動を引き起こしており、この反応のため藩邸が大量の買い米を実施していたことを解明した。藩邸社会の諸矛盾=動向を組み込んで天明期都市騒擾論を展開していく視点を獲得したといえる。また1787年の萩打ちこわしの結集=組織過程に関する史料の収集をおこない、さらに同年の広島・尾道打ちこわし時の米穀流通構造の分析から、江戸の米価変動=流通変動の影響が大阪市場を介して広島・尾道に緊道に及んでいる実態をあきらかにし、天明期の全国的連続的蜂起の背景となった米穀市場変動について論証をさらに深めたことは大きな成果となった。
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