本研究初年度の研究概要は以下のようである。 I 第1に、幕藩権力関係における公儀権力にたいする「奉公」としての軍役、その中における江戸湾警衛軍役の変遷と性格を検討した。それは、(1)当初の化政期は、徳川「家」ときわめて近い会津・白河両藩、文化〜天保期は幕府・関東旧付庸藩、天保〜弘化期は関東旧付庸藩が警衛を担当し、弘化4年に譜代雄藩と関東旧付庸藩に拡大したこと、(2)ペリ-来航以後〜元治期は長州藩を含む外様藩雄と幕府に拡大し、一方、江府を直接守衛する台場警衛は、関東旧付庸藩を主体とする譜代藩と一部外様藩が担当したことである。この江戸湾警衛の特長は、公儀およびそれを守衛する権力を主体とし、外様大名への軍役動員という拡大した公儀権の発動(同時に弱体化)を内容としていたをことを確認した。 II 次に具体的に外警軍役を負担した川越藩・二本松藩の軍役負担を検討した。さらに、公儀の恩貸である大名への公儀拝借金の性格について一定のまとめを行なった。その中で、(1)公儀拝借金は、全般的には弘化期以降、大名の幕府の役職就任・軍役動員・政局にかかわる「奉公」などへの貸し付けへ変化したこと、(2)川越藩の場合もこれに沿った形で幕藩関係が展開するが、安政期以後軍役奉公の続行にも拘らず、拝借金の貸与が外様藩へのそれと比し減少することを検証した。 III 明治元年から2年にかけての、明治政府の金札石高割貸し付けの性格について、諸藩にとっては藩支配維持と戌辰戦争の軍事動員・武備確保のための恩貸として受け止めており、天皇政府は幕府=公儀に代わる「公」権力と位置づけているのではないかと検討中である。
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