1.近世初頭に成立した武士系図集の分析を進め、また併せて戦国期の系図作成者の動きを検討することによって、中世から近世への転換期における社会の歴史認識の様態を考察。系図の<いかがわしき>から、その虚構性を許容し過去を再構成することを認める中世社会と、より整合性のある歴史解釈を追求するようになっていく近世社会を対比した。 2.本年度も中世武士系図の収集につとめたが、とくにそのなかから実験例として鎌倉北条氏系図を選び、鎌倉期から江戸前期の間に成立した9種の北条氏系図諸本(A中条文書所収系図、B野辺文書所系図、C野津文書所収系図、D『尊卑分脉』所収系図、E正宗寺所蔵先代一流系図、F尊経閣文庫所蔵平氏系図、G関東執権六波羅鎮西探題等系図、F『諸家系図纂』所収系図、I『浅羽本系図』所収系図)を比較・分析してみた。 一般的に一族系図は父系を基本とするが、そのなかで女性記載の比率を得ることによって、古系図ほど女性の記載率が大きいとする通説を検証し、ついで王朝の位階官職の記載、鎌倉幕府官職の記載、さらに北条時政から数えて第四世代における同一人記載例を分析。これにより、A-B-C、I-H、E-D、F-Gの間において相関関係が見られ、かつA-B-C-I-H、E-D-F-Gの二つに大きくグループ分けができることがわかった。すなわち、鎌倉期に系図としての最終版が成立したA・B・Cの間で親近性が高いことは予想通りであっが、意外にも室町期に成立したと考えられる系図諸本より、江戸前期に成立したH・Iの方が鎌倉期の系図に近かったことが判明したのである。この事実から、H・Iという史料集は古系図を原版としていた可能性が高いこと、また室町期系図では女系排除・王朝官位重視の傾向がつよかったのではないかとする仮説を考えた。
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