前年度に引き続き、筑紫筝音楽の伝承曲の中に含まれている、雅楽系「越天楽」系曲ではなく、漢語名の曲について、中国の七絃琴曲・明楽曲の影響がどの程度みられるかについての調査も続けているが、筑紫筝音楽のみならず後者二つについても、現在、その伝承がほとんど途絶えている状態のため、研究方法は当時の文書・楽譜等の収集が中心となる。長崎等に史料が伝来していないか探索中だが、まだその成果は得られていない。 一方、江戸時代中期〜後期の筑紫筝音楽伝承者による記録文書(70点)について、概要調査はすでに完了しているが、解読の翻刻作業をして本研究の基盤を確立すべきと考え、開始した。この作業は、当時の筑紫筝音楽の実態を公表し明らかにするのみならず、当時の伝承者達(佐賀藩士)が、衰退の途をたどっていた当時の筑紫筝音楽を、どのように捉え、どのような意識を持って継承に努力したか等の究明にもつながるものである。特に、幕末の佐賀藩士・今泉千秋は、筑紫筝音楽関係資料の収集・研究をして大分の著にまとめたのみならず、随筆も数点跡しており、筑紫筝音楽を絶滅させまいと奔走した一人の武士として、人間的な面でも研究価値の高い人物といえる。現在、翻刻作業は全体の約1割ほど完了しているが、まだ、中途段階のため、成果をまとめるには至っていない。 いずれにしても、次年度の本研究継続により、研究成果の一部を形にできるものと思われる。
|