補助金交付期間に、江戸時代に筑紫筝音楽伝承者達が書き遺した文書約70点の、成立過程に関する箇所を中心に翻刻が完成し、当道筝曲側や識者達が記述した江戸時代文書も収集し考察した結果、安土桃山時代に、北九州に忽然と登場した筑紫筝音楽の誕生の過程について、以下のような新たな知見及び問題が提起された。 筑紫筝を誕生させる基盤としての筑紫楽(古態雅楽)が存在していたとする書があり、それらの書でいう雅楽が、江戸時代以前から行われていたとすると、そこから筑紫筝音楽が誕生した可能性は大である。さらに、室町時代末に、周防大内家あるいは筑紫大内家(大友家)で、雅楽「越天楽歌いもの筝曲」を始めたとする書があり、筑紫筝音楽は、「越天楽歌いもの筝曲」から誕生したことはすでに以前、筆者の音楽分析で立証ずみであることから、これらの記述の信憑性追究が今後の重要な課題となった。もし、これらの記述が事実だとすると、筑紫筝成立期の主要人物である賢順は、大友宗麟の保護を受けた時期があることから、大内家雅楽と賢順もつながることになる。また、筑紫筝音楽の伝承曲の中に、中国音楽系統と推測される曲があるが、賢順が明人音楽家と接触したとする書があり、当時、南蛮貿易で隆盛を極めていた大友宗麟周辺ならその可能性は高いことになる。また、このことから、従来は中国音楽系曲について、七絃琴曲の影響を考えていたが、明楽の影響の可能性が出てきた。 なお、今回の研究では、現伝承者、江戸時代に筑紫筝音楽を行っていた寺院や演奏者子孫等の所在確認調査に着手する時間的余裕がなかったため、成立過程に関しての文献学的研究で終わってしまったが、衰退を迎えるまでの歴史および音楽内容の変遷についての残された課題も含み、今後、研究を継続して追究する予定である。
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