1.宝暦・明和期の長崎貿易改革 昨年度は、1760年代勘定奉行石谷備後守清昌が長崎奉行を兼職して行った改革の概要を示した。今年度からは、その内容について詳細な分析・検討を加えてゆく予定であり、今回は(1)金銀問題と(2)支配機構の整備について考察した。すなわち、(1)では従来、この時期に実施された金銀輸入政策は、貿易の拡大を狙ったものとして過大に評価されてきた。しかし、この政策は、当時計画中であった貨幣鋳造の原料不足を捕充することが目的であった。そのため、幕府は、正式な貿易額を縮小させてまで、外国から金銀を輸入させたのであり、実質的には、この金銀輸入により長崎貿易は拡大してはいなかったことを明らかにした。また、(2)については、まず、勘定所役人による長崎常駐の制度化に注目した。これは、それまで遠国奉行である長崎奉行が一元的に支配してした天領長崎の支配機構を大さく変化させた。つまり、長崎の貿易部門は勘定奉行、行政部門は長崎奉行に職掌が分割された形となったのである。そしてまた、長崎地下役人の支配構造も変えられ、町年寄の中で、後藤惣左衛門が町年寄上席・長崎会所調役に任命された。これにより幕府勘定所による長崎貿易支配は、長崎会所調役と勘定所役人により容易になされるようになった。 2.近世の銅貿易について 17世紀後半より重要な輸出品となった日本銅の輸出状況を18世紀末まで概観した。この銅輸出の状況を明確にすることは、石谷による1760年代の改革の意味を知るうえにおいても重要なことである。この銅輪出の論文は英文で作成した。これは、平成10年度にオランダの雑誌(Itincrario)に発表される予定である。以上
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