1. 宝暦・明和期の長崎貿易改革 昨年度から、1760年代勘定奉行石谷備後守清昌が長崎奉行を兼職して行った改革の内容について考察を加えてきた。今年度は、(1)運上金、(2)石銭、(3)長崎地下役人について検討した。すなわち、(1)では、元禄12年(1699)から実施された運上金が、寛保2年(1742)に廃止されるまでの変遷を明らかにした。そのうえで、その後、松浦河内守や、石谷備後守の改革において、どのような形で運上金が復活され、徴収されたかについて明らかにした。また、(2)については、石銭制度の創設から廃止までを調査したものである。石銭制度は、明和3年(1766)より寛政3年(1790)まで実施された。この石銭は、長崎の港浚いの費用を捻出するために始められたが、田沼時代のみ行われたことを考えると、一部は幕府へ収公された可能性が高いと言える。この石銭制度については、これまで研究はなされていない。(3)は、まず、石谷備後守は、主要な役職の勤方書を提出させ、そのうえで、各職掌を整理し、変更させた。また、地下人の日常一般までも、質素倹約を基本とした訓告を示した。この石谷の改革が幕末までの長崎貿易・行政の基本となったのである。 2. シーボルトの日蘭貿易論とその成果(『日本思想史』1999年6月刊行予定) シーボルトについての研究は、さまざまな視点からなされてきている。その論考は膨大なものであるが、貿易論については、今日まであまり述べられてきていない。そこで、シーボルトが大著『日本』の中で、6章にわたり記述している日蘭貿易についての論考を分析した。ここでは、シーボルトの貿易論には誤りが多く、時代に片寄りがあり、シーボルトが日本に滞在した時代前後は、主観的な記述が目立つことを明らかにした。
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