奈良時代中期、藤原式家は始祖宇合の薨去についで、長男の広嗣の諜反、そして誅殺によって政治的に低迷する時期を迎える。ところが、中期から、末期にかけて、恵美押勝の乱を契機として、藤原良継、白川を中心とする田麻呂・蔵下麻呂四兄弟の協力のもとに政治力を回復していく。その大きな手段が、光仁天皇の擁立と次代の桓武天皇の擁立であった。この両天皇の擁立によって、藤原式家は、天皇の信任のもとに大きく発展し、「藤原式家主導体制」ともいうべき時代を現出させていくが、この四兄弟の相次ぐ薨去によって、やがて衰退へと迎っていく。 その衰退の中にかろうじて武家の政治力保持を支えたのは四兄弟の甥であった種継である。しかし、この種継の暗殺によって武家は奈良朝政治史の中に埋没していく。武家の衰退の現状に対して、桓武天皇は擁立してもらったという武家への遠慮という呪縛から解放され、天皇権力の擁立を目指して、平安朝という新しい時代の現出を迎えることになる。
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