本研究では、宗法のもとに統制される父系親族集団(宗族)の形成を目指す考え方を宗法主義、かかる宗法主義を実践する動きを宗族形成運動と呼んでいる。宋代に開始された宗族形成運動は、16世紀以降の地域社会において最も活発化し、宗族が地域社会に定着することになる。本年度は、清代の蘇州に焦点を定めて、宗族普及の状況を検証した。第一に、宗法主義に対する清朝の政策を検討した。検討の結果明らかになったのは、清朝が、公式の礼制(祠堂制度)のうえでは、宗法主義を捨象した明朝の方針を踏襲したものの、実質的には、宗法主義の理念と実践を容認する現実対応的な政策をとったことである。かかる現実対応的な政策への転換の背景には、江蘇とくに蘇州における宗族普及の状況があったものと考えられる。第二に、蘇州府における宗族普及の状況を検討した。宗法主義を実質的に容認するという清朝の柔軟な政策のもとで、宗族の模範とみなされ氾氏義荘の本拠地があった蘇州では、府城を中心として、氾氏義荘に倣って義荘を設立する働きが清代とくに乾隆年間を中心として活発化した。その結果、宗族を単位とする名門の家系の定着が地域社会に観察されるようになる。第三に、郷村に視点を据えた考察である。蘇州府下の太湖地区一洞庭東山一の居民は、都市化・商業化の潮流を巧みに捉えて、遠隔地交易に乗り出し、富を獲得するとともに、官界にも大量に進出した。経済的政治的な成功を収めた彼らもまた、宗法主義に立脚して、宗族形成の事業を行い、名門宗族を樹立した。この検証から、太湖地区に限らず、清代における郷村地帯でも、宗族の普及が進捗したことが推測される。
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