本研究の初年度である本年度は、基本史料のひとつである『新聞報』などを購入し、1920〜40年代における中国国民党と、民主主義党派に結集した中国近現代知識人との関係について検討した。その際、当該時期の中国知識人の内部における政治傾向の共通点と相違点を明らかにすること、および当時の政権党=中国国民党の建国方針と彼らの政治方針との比較検討を試みた。 その結果、中国知識人の内部は、反共主義的で親米的な政治路線を標榜し、集団主義的な思想傾向をもった隠健派(中国青年党や中国国家社会党)、可能な限り平和的な手段での変革を志向し容共的で、米ソとも等距離外交を目指した、個人主義的傾向の強い中間派(1945年の臨時全国代表者大会以後の中国民主同盟・民主建国会など)、親共的で暴力革命への傾斜を強めた変革思考の持ち主で、対外的には親ソ的傾向を示し、思想的には集団主義的な発現を行った急進派(中国民主促進会など)の三つのグループに区分できることが確認できた。 また中華人民共和国成立前夜に「中間派」として集中的な批判を浴びた施復亮や、建国後に、中国共産党により「右派」のレッテルを貼られることになる羅隆基などの分析を通じて、彼らが中国国民党や中国共産党など「党治」理念を掲げるレ-ニン主義的政党とは異り、国家意識を有し、自発的・自律的に政治に関与する能力を有した「国民」の自生的な形成に努めたことが理解できた。
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