朝鮮三国それぞれの王都の構造と機能に関する個別研究をすすめ、それを総合的に考察した。まず高句麗については、後代(中期・後期の前半)において知られている、平地の王城と、その背後の山城とのセット関係が、前期にまでさかのぼって存在したことを確認した。後期の問題については、そうしたセットのうちの王城の位置に関して考察し、あわせて遷都(平壌への)の背景について検討した。両者がセットをなす、そうした構造は、高句麗の伝統的な都城のありかたといえるものであるが、後期になって、中国的都城制と融合するかたちに変化していった。次に百済であるが、百済については、前期の王城の位置について考察し、また後期の王都をめぐる諸問題について、再考した。百済においても、高句麗の場合と同様に、後期になって、中国的都城制と融合する都城のありかたに変化していった。ついで新羅であるが、新羅については、全時代をとおして一度も遷都しなかったことが、王京の特質であり、そうした王京の特質について追究した。また地方におかれた五つの小京についても検討した。五つの小京は王京の再現といえるものであった。新羅王は、地方において、王京のミニチュア版を再現したものであった。最後に、それらの個別研究を総合的に考察した。三国はそれぞれが独自の都城制を発展させた。その変遷は、三国それぞれの歴史の変化と密接に関わるものであった。そして中国的な都城制を導入しながらも、独自なありかたを残したところに特徴があった。
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