英国が帝国を形成するにあたって植物資源の確保・獲得に対して示した関心と対処のありかたを検討するために、まず二つの時期を設定した。 (1)18世紀中・後期の7年戦争から対仏戦争にいたる旧帝国解体・新帝国への移行の時期。(2)19世紀末の帝国主義競争の時期。 (1)の時期については、1759年に設置されたキュー植物園の植物目録Hortus Kewennsis全5巻における記載を中心に、英国への新種植物の導入の時間や地域の分析をすすめている。その過程で、当該期において北米大陸から英国への植物の移動がトレンドとしては後退し、かわってアジア、オセアニアなどからの新規の導入が急激に増加しはじめ、植物移動の距離の増大と、政府・公権力の関与の度合が顕著になった。またその初期においてはロンドンのチェルシーやエディンバラの植物園のはたした役割の無視しえない等がことが明らかになろうとしている。 (2)に時期については当該の時期に英国に滞在し、資料の収集を行なった植物学者南方熊楠の旧蔵書から、植物学の状況と政策の関連を検討する予定。現在予備的作業として蔵書の内容調査を和歌山県田辺市の旧南方邸および白浜町の南方熊楠記念館において継続的に実施中である。
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