研究概要 |
本研究は,第一次大戦に先立つ時期のイギリス植民地政策を検討し,現代の低開発国援助政策の歴史的起源を解明しようとするものである.1895年,チェンバレンは植民地相就任とともに「未開発所領」開発政策を開始した.このために彼が推進した立法が「植民地借款法」(1899)と「植民地証券法」(1900)である.即ち,彼は国家予算からの補助金とロンドン・シティの資金を植民地に誘導することにより鉄道,道路,港湾設備などのインフラストラクチュアを整備し,また商業・金融機関の植民地進出を促すことにより,「未開発領」の開発と経済的自立を実現しようとした.但し,開発は鉱山,プランテーション農業などの第一次産品生産の発展を中心とするものであり,「工業化」ではない.こうして大戦前の時期にイギリス植民地は「一次産品輸出経済」に再編され,当時の世界経済(「多角的貿易構造」)において「周辺」と位置づけられることになる.しかし,チェンバレン政策は必ずしも成功と評価し得ない.第一に,正統的経済政策(特に,緊縮=均衡財政)に固執する大蔵省は,植民地が本国財政への依存を強め,また,シティ資金の借入れが債務不履をひきおこすことを懸念し,チェンバレンの開発政策に反対した.第二に,植民地省官僚自身が植民地の開発が現地社会の変動をひきおこし,政治的・社会的混乱を導くとの理由から開発政策策に消極的姿勢を示した.こうした状況を大きく変えたのは,第一次大戦下におけるイギリス植民地の位置と役割の変化である.
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