研究概要 |
本研究の目的は,ナチスの労働者統合政策をとりあげ,ヴァイマル末期〜第三帝国前半期において,ナチスが社会主義労働組合によって掌握されていた労働者をどのようにして組織し統合していったのか,その論理と実際を史料から明らかにすることである。 そのため本研究では,(1)ナチ体制成立期における労働組合からドイツ労働戦線への移行と換骨奪胎の論理を解明し,(2)ナチ体制下における労働者統合政策の実際を,1930年代の文化的・社会的変容との関連で検討することを意図している。今年度は,(2)を中心に研究し,同時に(1)との関連を探ることを課題とした。 (1)共和国の最大勢力たる労働者をとりこむために,ナチスは,1933年5月1日に「国民労働の日」を開催し,労働運動の記念日たるメ-デ-の意味内容を換骨奪胎し,社会主義労働組合を破壊する一方で,「ナチ経営細胞組織(NSBO)」による国民的労働組合の結成の試みを封殺し,新たにR.ライを指導者とする「ドイツ労働戦線(DAF)」を発足させた。だがその過渡期には,NSBOのエネルギーを存分に活用し,既存労働組合との連続性を確保しつつ,新しい体制のメリットを組合員に宣伝し彼らの獲得に努めた。この初期の段階では,イタリア・ファシズムを範とする身分制的労働体制が構想されていたことも注目される。 (2)「ドイツ労働戦線・労働科学研究所(AwI)」は、ドイツ労働戦線の活動領域全般にわたり基本的問題の解明によって客観的・専門的な資料を提供することを課題として,1935年春にR.ライによって創設された。研究所の目的は社会政策の実行ではなく,ナチのめざす体制の社会工学的な計画の立案であった。その活動がとりわけ注目されるのは,総力戦体制下に立案された「ドイツ国民の社会事業計画(1941年12月)」に見られるように,老齢年金・健康保険・賃金体系・社会住宅建設・職業教育といった,戦後の社会福祉政策を先どりする包括的な計画が、ナチスの人権イデオロギーの具体化とともに追求されたことである。
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