平成10年度における本研究の具体的な成果として、伊東俊太郎・梅棹忠夫・江上波夫監修、神川正彦・川窪啓資編、講座比較文明 第一巻『比較文明学の理論と方法』(朝倉書店、平成11年2月25日刊行)に、論文「トインビーのルネサンス論をめぐる再検討:中国のルネサンスと西欧の『古代・近代論争』」(82〜97頁)を発表することが出来た。この論文の冒頭の「トインビーの文明論とルネサンス論」ならびに後半部「『古代・近代論争』とルネサンスの克服」が、特に本研究と深く関連しているので、以下にその要旨を叙述する。イギリスの歴史学者であり、文明論の基礎を構築したと考えられるアーノルド・ジョセフ・トインビーは、通常の歴史学者と異なり、ルネサンスを14世紀から16世紀にかけてイタリアに生起した現象に限定せず、彼のいう「子文明」が危機に際会した時に、「親文明」の亡霊を呼び出す局面で、複数の文明のなかに生起する現象と捉えている。しかも、トインビーは、ルネサンスによる「親文明」の「亡霊」の完全な復活が達成されたところでは、「創造的な精神の挫折」という事態が生ずると考えている。西欧文明が古代ギリシャの文明の復興によって創造的な精神を枯渇させることがなかったのは、むしろ例外というべきである。西欧文明が「ルネサンスの知的な軛」から脱却出来た決定的な一要因は、「古代・近代論争」における「近代派」の勝利であった。これによって初めて近代ヨーロッパにおいて「進歩の理念」が成立しえたのである。トインビーは、以上の論旨を展開するに当たって、ケンブリッジ大学の近代史欽定教授であったジョン・バグナール・ベリーの名著『進歩の理念』に依拠している。従来、フランス文学史の片隅で取り上げられるにとどまっていたこの論争が「進歩の理念」の成立に対して有した決定的な重要性に着目したことにおいて、べリーとトインビーの研究は高く評価される。
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