研究概要 |
近代ヨーロッパにおいて進歩の理念が確立されるに当たって、歴史の黄金時代は過去のもので二度と再現されることはないという悲観的な歴史観を克服することが必要であった。例えば、古代ギリシャや古代ローマ、例えばアウグスツスの治世が黄金時代として絶対化されていた。近代ヨーロッパにおける、このような悲観論、下降史観を克服することが、主に十七世紀後半のフランスで展開された「古代・現代論争」に際しての、「現代派」の課題であった。「現代派」の中心的存在は、日本では「長靴をはいた猫」などの童話の収集家として知られているシャルル・ペローと、フォントネルとであった。ペローが1687年にボワローと論争を開始し、「現代派」のフォントネルは「古代派と現代派についての余論」(1688年)によって「現代派」の勝利に決定的に寄与した。我国ではまだ翻訳もなされていないこの論考について、三宅は詳細な紹介と徹底的な分析をこころみた。この論考とパスカルの未刊の「真空論序説」との類似性は著しいものがあり、これについても三宅は考察を加えた。この論争は、ケンブリッジ大学の近代史の欽定教授であったベリーのいうように「ルネサンスの知的なくびき」を克服するためには不可欠の過程であった。イタリア・ルネサンスが促進した古代の天才たちへの崇拝は、古代の、例えばアリストテレスの権威を絶対化する危険を孕んでいた。フォントネルとパスカルは、このような権威の絶対化に反対したのである。ニュートン、ボイル、ホイヘンスなどの自然科学者たちの、十七世紀後半に集中した、当時としては驚くべきさまざまな発見は、「現代派」を支援することになる。環境汚染が深刻化した現在では、環境汚染を生み出す技術の進歩への悲観論が台頭し,進歩の理念の再検討を要請している。他方で、進歩の理念が未来に想定したユートピアと、新約聖書の『ヨハネ黙示録』の伝統にもとづく千年王国思想との類似性も、今後の研究課題として関心を触発するものがある。
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