ローマ社会で自由人の精神に関与する教師と自由人の身体に関与する医師たちの多くは、奴隷あるいは解放奴隷(元奴隷)であった。教師と医師とは外見上の仕事は大きく異なるものの、同一の職業組合に所属していた。スエトニウスによれば、著名な教師・学者の多くが捨て子だった。そして、おそらく医師の場合も同様であった。社会の最下層の奴隷に生まれただけでなく、捨て子という境遇にあった人々が、いかにして教育を受けたのかが大きな疑問となる。言うまでもなく奴隷のための学校というものはなかったし、何よりも奴隷が学費を払うことはできない。彼らが教育を受けた経過は、各人の運命によってさまざまであるが、結果としては、捨て子であった奴隷が当代随一の学者になったり、著名な医師になったりしている。それ故、彼らがどういう教育を受けることができたかは、彼らの運命によって異なるにしろ、教育を受けた側の事情は容易に想像できる。問題は奴隷を教育した側の動機である。奴隷を教育することに利益があるなら、それを行う人はいたと考えられる。誰が、どういう目的で奴隷教育を引き受けたのか? 「奴隷教育禁止」を示す布告は、この問題を解く鍵である。利益目的で奴隷教育に従事する人がいた理由を理解するためには、古代の経済的打算を理解しなければならないだろう。これまでペルガモンで発掘された碑文に記された皇帝による「奴隷教育の禁止に関する布告」とベネペント出土の「教師・医師合同組合に関する碑文」の分析を中心に研究を進めてきた。史料の少なさから研究は困難であり、いまなお実証の面では若干不満が残るものの、ある程度の見通しはもてたので、成果を公表したい。
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