皇帝裁判の実態を把握するため、史料に比較的恵まれている帝政初期を取り上げ、元老院議員層がいかなる犯罪で皇帝裁判にかけられているか、を探った。その結果、皇帝裁判は帝室に関係した犯罪、早急な対処が求められる犯罪(特に陰謀)、皇帝の側近や重要属州の総督が犯した犯罪、を担当する一方で、法定犯罪や緊急性薄き犯罪は元老院裁判に委ねられていたことが判明した。この事実から、皇帝は被告議員たちを恣意的に自らの法廷に召喚したのではなく、世論を視野に入れた上で、皇帝裁判の合法性や正当性を主張しうるケースに対して司法権を行使していたと言える。しかし皇帝裁判が管轄する犯罪領域の存在は皇帝裁判権に対する人々の批判を封じたにせよ、判決に客観性を与えることには何ら資さない。そこで、次に、皇帝裁判に陪席して判決を皇帝に助言した「皇帝顧問団」をその人的編成の点から検討した。そして顧問団メンバー全員が皇帝によって任意に召集されたのではないことが明らかになった。帝政初期における顧問団は、民会が選出する政務官や元老院が選出する顧問団員といった国制上の正規機関によって選ばれた人々を含んでいたのである。このような皇帝が原則的に関与しない人選のあり方が判決の外面的客観性を高めることに資し、皇帝裁判の定着を促したと考えられる。しかし2世紀前半のハドリアヌス帝以降、皇帝が顧問団員全てを自ら選び、法学者を意識的に起用するようになる。これは、既に皇帝裁判が定着を遂げた結果、皇帝が正規機関に顧問団の人選を任せてまで、裁判の客観性を求める必要が薄れたこと、皇帝が度重なる帝国巡行によって顧問団を随員から構成せざるをえなくなったこと、に起因するのであろう。
|