本研究は、道の実態やその歴史的・技術的発展過程をとおして、道のはたしてきた役割を考古学的に究明すること目的とするものである。従来古代の官道については、官衙や条理制などとの関連で注意され、また考古学的調査により直線的・計画的な道が明らかになってきているが、石器時代や中・近世の道の実態等についての考古学的研究はなされていないのが現状である。 本年度は、1.旧石器・縄文時代の道の復元・究明、2.近世街道石畳の構造・構築技術の究明の2点について研究を実施した。 1.旧石器・縄文時代の道の復元・究明については、中国地方の遺跡の分布状況から道・交通網の復元を試みた。旧石器時代には中国山地脊陵部に遺跡が集中する傾向がみられるが、旧石器時代末から縄文時代初頭になると、瀬戸内海や日本海の海岸部にいたるまで広範囲に遺跡の分布域が拡大し、その後遺跡数は増加するが、縄文時代の基本的な遺跡の分布状況が形成される。交通網は河川に沿って発達したと考えられるが、現在の峠道に立地する遺跡がみられることなどからも、現在残る旧道は石器時代以来の道である可能性が高いと考えられる。 2.近世街道石畳の構造・構築技術の究明については、島根県瑞穂町の石見街道三坂峠石畳の発掘調査を実施した。石畳は自然石を用い、側縁部には1m前後の大石を使用して強化する方法がとられ、広島県の西国街道向原石畳と同様の構築方法をとっていることが明らかにできた。三坂峠では扁平で小さな割石を使用している部分もあり、敷設時期や工人集団が異なるのか等が今後の研究課題として残された。また石畳の幅員は、古文献には7尺とあるが、実際は10尺(3.3m)であったことが明らかにできた。
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