平成9年度は、旧石器時代から弥生時代までの道についての研究を中心に実施した。これらの時代の道は、近年の大規模調査により断片的な遺構が検出されているが、道の全体像は明らかではない。そのため遺跡の立地・分布状況の分析から、道・交通網の発展についての研究を行った。 移動社会といわれる旧石器時間の遺跡は、中国地方では、中国山地背梁部や台地・盆地を中心にして遺跡群を形成している場合が多く、旧石器時代末頃から、生業形態の変化とも関連して、遺跡が拡散していくようである。旧石器時代の道は、生活拠点を移す移動の道としての位置づけができる。そして定住社会である縄文・弥生時代になると、山地部や海岸部に限らず、広くかつ密に遺跡が分布するようになる。縄文・弥生時代の道は、遺跡・集落間を結ぶ生活の道として位置づけることができる。 その具体的事例として、広島湾岸域における分析を試みた。この地域では、旧石器時代遺跡は少ないが、縄文時代以降になると遺跡数が増加する。各時代の遺跡の立地・分布から、遺跡の生活領域を分析すると、大領域は山稜や特定の山などを目印にして分けられ、その範囲は現在の行政区分の範囲に類似していることが明らかになり、現在の生活圏も石器時代にまで遡る可能性が考えられた。大領域の中の集落領域もほぼ同様に区分できることが明らかとなった。縄文時代の領域境は、弥生時代の集落の領域境と重なり、また古代山陽道の道筋と一部重なっていることが明らかになった。領域設定の基準・目印と古代道路の路線選定基準・目印に共通性がみられ、道の選定基準の一つとして、石器時代以来の生活領域の境界があるのではないかと考えられた。
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