1 『萬葉集』の題詞左注を平安時代の漢籍訓点語の研究を参照しながら訓読する作業を開始し、継続している。従来は、例えば「思近江天皇歌」という題詞を、「近江天皇を思ふ歌」と訓読することを当然としてきたが、しかし、奈良時代に尊重された『文選』の伝統的な訓法に従うならば、それは「近江天皇を思ひし歌」と訓まれなければならない。題詞左注は、編纂者がその歌の作歌事情を解説する文章であり、歌の成立を過去の事実として客観的な立場から叙述するものであるから、「思ふ」ではなく「思ひし」と過去をふりかえる意の助動詞「き」を補読して訓むことが、編纂者の意識に即した方法でもある。今後もこの作業を継続し、全巻に及ぶ予定である。 2 『萬葉集』の歌には、漢語あるいは詩文の表現を受容することから生まれた新しい表現が少なくない。その具体的な例の幾つかについて考察した。例えば旅先で馬が躓くという歌の表現を、『文選』の詩句などの受容と考えて、馬もまた故郷を思う故として、通説とは異なった解釈をしました。「貫簀」という言葉が歌詞に現れるが、それを『礼記』に見える「易簀」という有名な成語の「簀」と同じもの、つまり竹片を編んだベッドの敷物と理解し、正倉院文書に見える「貫簀」とともに奈良時代における中国風の生活を語る語と考えた。いづれもささやかな例ではあるが、『萬葉集』が中国文学をいかに受容し、変容したかを考える具体的な材料とすることを目的とする。 3 平安時代の和歌についても詩文の表現の受容いかんを考えた。特に紀貫之の歌に、波頭を花や鴎や鶴に譬え、また花を雲に譬えるなど、漢詩文の影響のもとに成立した表現の多いことを考察した。
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