前年度の作業をふまえ、明治初期の翻訳文学における傍訓の使用例と、明治以前の文献とにおける傍訓の使用例とを比較するために、明治以前の文献を、「辞書類/文学類/実学類」に分類した(なお「文学類」は必ずしも小説などのいわゆる文学に限るのでなく、歴史書や哲学書なども広く含んだ、近世以前の用例とほぼ同義「文学」を指し、「実学」は医学や工学、また兵学などを指す)。それに基づいて明治以前の文献の傍訓用例を整理し、明治以降の翻訳文学と初歩的な比較を行なった結果、翻訳文学における傍訓における遊戯性と啓蒙性とがそれぞれ別の系譜に属すること、両者の結合が明治になってから急速に広まることが確認された。単純化して言えば、遊戯性は文学類のうち近世小説(中国翻案もの、読本など)に由来し、まま衒学の要素を含み、啓蒙性は辞書類・実学類に多く由来する。さらに、文学類のうち歴史書(とくに翻訳もの)などは、しばしば両者が混淆した状態であらわれる。一般に、ヨーロッパ言語からの翻訳という点では、文学より歴史の方が先んじているが、表記の技法の点でも、文学の翻訳に当たって歴史書の翻訳が大いに参考にされたことは、近代小説の叙述技法の確立という観点からも、興味深い。ただし、近代以前の歴史書においても遊戯性と啓蒙性の混淆は一様でなく、また、明治以降となると、遊戯性の要素がほとんどなくなりひたすら啓蒙への道を歩むことになる。傍訓というのは末梢的な表記技法のように一見おもえるけれども、こうしてみると、それぞれのジャンルの本質をよく表しているとも言えるだろう。
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