三條西家旧蔵学習院大学文学部日本語日本文学科研究室蔵『萬葉集注釈』(正式書名。一般には「萬葉集目安」)の原本調査の結果、この写本が三筆からなり、三條西公条とその周辺の人々によって書写されたものであることが確認された。またこの写本の書入注記の内容分析の結果、ここに記された「冷泉黄門」(藤原為相)の説が藤原定家の解釈の流れを汲むものであることが確認され、この書入注記の筆者が冷泉歌学に連なる今川範政であることが一層確実なものとなった。前年度、この写本によって、『萬葉集目安』の成立の下限が範政の没年永享五年(1433)であることを報告したが、さらに『萬葉集目安』の注釈が、二条良基への講義をまとめた由阿『拾遺采葉抄』(貞治六年(1367)の強い影響を受け、良基『萬葉詞』(応安八年(1375)や良基亭での談義の聞書を抄出した『萬葉集聞書抄』(明徳二年(1391))とも親近性を見せることから、『萬葉集目安』の成立はむしろ上限(応安七年(1394)に近いと推定された(従来は室町後期の注釈書と見なされていた。) また学習院大学文学部日本語日本文学科蔵『萬葉集注釈』の掲出句には、四四箇所46異訓が書入れられている(一箇所を除き同筆)。現存『萬葉集目安』諸本(12写本と版本)の異訓の現存状況を調査し、その内容を分析した結果、異訓は52を数え(国文学研究資料館本によってさらに6異訓が補えた)、異訓の諸本における現存状況の違いには特別な意味を見出せず、むしろ52の異訓からは仙覚の訓を重視しながらも『萬葉集』の漢字本文の常識的な音・訓にその都度即して訓読しようという一貫した姿勢を読み取ることができ、これらが概ね『萬葉集目安』成立当初より存したものと推測された。『萬葉集目安』は由阿・良基の周辺にあって仙覚の訓読と注釈を尊重しつつ『萬葉集』訓読に一定の見解を持った人物による萬葉集注釈書であるという結論に至った。
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