平成10年度は、作者未詳『萬葉集註釈』(正式書名。一般には『萬葉集目安』)の校本の底本として、書写年代及び本文系統の点で、三條西家旧蔵学習院大学文学部日本語日本文学科研究室蔵本が最もふさわしいことを確認し、その全文の翻刻を完了した。現在諸本との校舎を進行中であり、近い将来その成果を校本として公表する予定である。 また、仙覚『萬葉集註釈』の説と、仙覚以後の萬葉集古注釈書の説との比較対照を行い、仙覚の説が直ちに京の歌人や古典学者たちの間に波及したのではなく、14世紀後半に仙覚の学問の流れを汲む由阿が二条良基に京に招かれてた『萬葉集』の講義をし、15世紀末に宗祇・三條西実隆・中御門宣胤ら京の古典学者が仙覚の本文・訓読・注釈を積極的に受容したことにより、ようやく京において一定の影響力を持つに至ったという様相が看取された。それにしても、由阿・良基の仙覚説の受容においては、仙覚説を継承しつつも、これに大幅な修正を加えているようである(従来の京の歌学との融和をはかったとも思われるが、これについては今後継続して考察したい)。また宗祇『萬葉抄』の場合も仙覚説を注釈では多く踏襲しているものの、訓読については、その萬葉歌が『新古今和歌集』に収録されている場合には、『新古今和歌集』の本文(訓)を基本的には採択している。『新古今集』の影響力の大きさと、仙覚の訓読が京の歌人・古典学者の間に大規模に導き入れられるには、実隆『一葉抄』の果たした役割が多大であることが改めて確認された。逆に言えば仙覚の学説は中世において極めて突出したものであったと言える。
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