観阿弥・世阿弥の時代に、能がいかにして大成されたかにつき、とくにその作品性と演技性との関連を中心に考察すべく、謡本テキストの集成を行い、それらの良質なテキストに基づきつつ、作品研究を行った。この作業を通じて、観阿弥時代・世阿弥時代前半・世阿弥時代後半のそれぞれにおける演目のあり方の概要を知ることが可能となり、またあわせて、観阿弥時代から世阿弥時代にかけて、能がいかに舞踊化・音楽化され、現在の能の祖型が形成されるに至ったかについての見解を集成した。平成八年十一月にこの成果を踏まえて旧稿を再編増補した学位申請論文を提出し、平成九年十一月に早稲田大学より博士(文学)の学位を授与された。また平成八年度中世文学会秋季大会で研究発表を行い、その成果を博士論文とは別に、平成九年度の中世文学会の紀要と、同じく法政大学能楽研究所の紀要とに分載した。現在上記の成果を統合して一書として刊行すべく、準備中である。 なお今年度に新たに発表した研究成果の内容を概説する。世阿弥時代の文献に現れる能の数は、百三十一曲あるが、廃曲や他座の演目を除くと、百八曲になる。これは世阿弥晩年期における観世座の演目数にほぼ匹敵するかと思われるが、それは江戸初期における金春座の演目数九十一曲や観世座の百四曲に類似した数である。ところが世阿弥前半生には一座の演目は極めて少なかったらしく、能の「花」を咲かせる「種」として、他座の演目の摂取や古作の改作による演目の拡大・充実が、新作と共に奨励され、それが当時の世阿弥の課題であったことがわかる。観阿弥時代の演目総数は不明であるが、ほとんど当時の作品が現存しないどころから見て、事実上の演じ捨てが実情であったことが推測され、それに対し同じ作品が複数の役者によって演じ継がれていくのが世阿弥時代の能の特色であった。そしてこのことが能の古典化につながった公算が大きい。
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