鉄心斎文庫の『伊勢物語』写本には、頭部や行間に書き入れ注を有するものが数多く含まれていた。その中でも、もっとも注目されるもののひとつである『尭恵加注承久三年本校合伊勢物語』を特に取り上げ、その内容について検討を加える。 『尭恵加注伊勢物語』は、二条流歌学の正当な後継者として宗祗とは別系の立場に立つ、室町時代後期の歌僧尭恵が注を書き入れた写本を、おそらくは青蓮院の経厚を介して伝授された本願寺の兼俊(蓮如の子)が書写し、その本をさらに後の人物が再び転写したものである。宗祗系の注釈書が数多く残されているのに対し、尭恵系の注釈は現存するものがきわめて少なく、特に、尭恵自身の説を伝える伊勢物語注釈は他には残されていない。その意味でも本書に書き入れられた尭恵自身の注記はきわめて貴重である。 さらに、『尭恵加注伊勢物語』には、尭恵の注だけでなく、数多くの古注の注記が書き入れられており、そこに古注説であることを示す記号が加えられている。これは、当初から古注説が書き入れられていた『伊勢物語』写本に、尭恵の注が、新しく書き入れ注を加える形で書き入れられたことを示しているように思われる。宗祗系や尭恵系の注釈は一般に、不必要に思われるほど頻繁に古注の説を掲げ、それをわざわざ否定して自説を述べることが多いが、そのような形態も、それらの注釈が本来、この『尭恵加注伊勢物語』のように、本来古注が書き入れられていた『伊勢物語』写本に、あらたに別個の注を書き加える形で成立したものであったことからもたらされたものではなかったかと思われる。そのような推定の手掛かりを与えてくれるという点においても、本書の内容と形態はますます貴重であるといわねばならない。 なお、今回の研究成果をもとに企画・開催された鉄心斎文庫伊勢物語文華館の展示の図録『鉄心斎文庫所蔵伊勢物語図録・第14集・注入り伊勢物語の世界』を、参考資料として添付する。
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