島崎藤村の小説『破戒』は、1906(明治39)年に自費出版された。時、あたかも文学の近代の成立の時期に当たり、『破戒』は新しい文学の旗として出現したのである。この『破戒』に対して夏目漱石をはじめ〈空前絶後〉といわれる程の同時代批判が輩出したのである。しかしこの小説が当代の部落差別の問題をとりあげたことは、その文学的成功とは別に組織された部落開放運動の側からの批判を受け、一旦は著者自信の手で絶版にされたが、1939(昭和14)年に改定再刊された。その間、プロレタリア文学運動の中で、社会的困難に踏み迷った多くの青春に読み継がれたが、太平洋戦争敗戦後の社会情勢のなかで、演劇化・映画化された。1953(昭和28)年の『破戒』初版本復元によって、以後『破戒』研究は本格的に展開することとなった。この戦後の『破戒』研究の原点ともなった平野謙の「破戒論」が『破戒』生成の契機として社会的抗議と自己告白をとらえ、この統合的な解読によって『破戒』の文学史上における価値を見いだし得るとしたことから、この論点をめぐる『破戒』評価が戦後における『破戒』研究を領導したが、1970年代から実証的な研究が地道に積み重ねられ、『破戒』研究は本格的な段階に入ったのである。しかし『破戒』の統合的評価ということがいわゆる制度化し、さらに部落問題にたいする思想的な硬直化によって研究状況の風化をもたらしたが、これまでの作家論・作品論の枠にとらわれない様々な視点からの研究が提起されはじめたというのが最近の研究状況である。このような『破戒』研究の状況の変遷を文学的な地平からだけでなく、社会的・思想的な視点から、『破戒』の出版から改訂再刊、そして初版本復元をとおして研究状況を通観し、さらにこれからの研究動向を明らかにしたいという目的でこの研究年表を作成した。
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