1)初年度は、東洋文庫、東京大学東洋文化研究所図書館などで資料収集につとめ、また研究上必要な新規図書とパーソナル・コンピュータ一式を購入した。さらに、1996年7、8月には(財)交流協会の研究助成を得て台湾を訪れた機会を利用して、図書館や公文書館において資料調査を行った。このようにして集積された資料をもとに研究を進めたが、初年度はとくに、近代中国の国語統一運動に大きな足跡を残した銭玄同の言語思想を中心に分析し、彼の漢字改革をめぐる認識とその歴史的背景を、1935年の国民政府による簡体字施行の動きと重ね合わせつつ考察した。 2)二年目は、前年に引き続き東京大学東洋文化研究所図書館などで資料収集につとめ、また研究上必要な新規図書を購入した。このようにして集積された資料をもとに、最終年の本年度は清末から民国に至る国語統一運動の流れをあとづけ、その言語思想史上の意味を総合的に解明することを試みた。また、1997年12月26日より1998年1月3日まで、本研究経費による海外出張を行い、中国北京市にて専門研究者からの情報提供を受けた。 3)上記の研究活動から得られた知見のうち、最も重要と思われるのは、近代中国における俗語運動が先発近代化諸国との共通面を多くもちながら、他面ではまた書記言語の連続性という中国に特殊な事情が存在していた、ということである。すなわち、西洋や日本における俗語革命・言文一致運動が「帝国言語」からの自立・解放の契機を含んでいたのに対して、中国では書記面における「帝国言語」との断絶がなかったため、かえって俗語の純粋化・規範化を唱える「国語」運動が、民国初年の読音統一会、五四白話革命、30年代の大衆語論争・民族形式論争といったかたちで繰り返し問われることになったといえる。言語現象を通じて近代中国の国民統合の問題を考える場合、そのような地域の特殊性とナショナリズム一般の普遍性との相互関係を踏まえる必要があるというのが、本研究から得られたとりあえずの結論である。
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