今年度の研究では、シェイクスピアに先行してオヴィディアニズムを実践したエリザベス朝詩人の代表的存在であるクリストファー・マ-ロウの作品を中心に検証した。対象としたのはマ-ロウの『カルタゴの女王ダイドウ』(Dido Queene of Carthage)、『オヴィッド全エレジ-』(All Ovids Elegies)および『フォースタス博士』(Doctor Faustus)である。『カルタゴの女王ダイドウ』はウェルギリウスの叙事詩『アエネ-イス』の一部分を少年劇団の上演用に脚色したものであるが、そのドラマの背景をなす宇宙像を描くに当たって、マ-ロウはオウィディウスの『変身』(Metamorphoses)や『恋愛詩』(Amores)に見られる宇宙観を利用している可能性が高いということを確認した。またこのようにオウィディウス的宇宙観を悲劇の枠組みに応用するという手法は、マ-ロウの代表作『フォースタス博士』でさらに本格的に用いられた形跡がある。この点については論文「ジョーヴの高空と緑の野」として纏め、近く刊行される見込みの『逸脱の系譜:高橋康也教授東京大学退官記念論文集』(研究社出版)に収録されて発表の予定である。またオウィディウスの『恋愛詩』を英訳した『オヴィッド全エレジ-』に見られるマ-ロウのレトリックは、従来考えられていたようにラテン詩のレトリックの英詩への応用という面よりも、英国土着の英詩のレトリックという面がより大きいことを明らかにした。マ-ロウはエリザベス朝詩人の中でもかなり急進的な母国語主義を奉じた詩人の一人であったと推測される。この点については平成8年10月のシェイクスピア学会で「マ-ロウの翻訳術」と題して口頭発表した。 平成9年度は、1590年代英国のソネット連作とシェイクスピアの初期の作品を対象にオヴィディアニズムの例を検証して行く計画である。
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