研究概要 |
ジョン・ダンは『イグナティウスの秘密会議』(1611年)の中で,マキアヴェリ以上にマキアヴェリ的であるイエズス会の創始者イグナティウス・ロヨラを描いているが,本研究は16-17世紀のジェズイットとマキアヴェリの関係及びダンのマキアヴェリ,ジェズイットへの態度そして最終的にはダンとジェームズ一世との関係の解明に関わっている.この問題に関して最初に注目すべきは,スペインのジェズイット,アントニオ・ポセヴィーノである.彼のludicium de Nouae militis Galli,Joannis Bodini,Philippi Mornaei,et Nicolai Machiavelli quibusdam scriptis (1592年),Nicholai Machiavelli Florentini Princeps.Ex Syvestri Telii Fuiginatis Traductione diligenter emendatus(1600年)のPraefatio,Discorso contra l'impieta e perniciosissimi consiglidel Machiavello(1604年)から,ポセヴィーノのマキアヴェリ観解明が平成8年度の研究対象であった.その結果,ポセヴィーノは,マキアヴェリのDiscorso『ローマ史論』については,「短時間で政治の実践に関連のある有益な資料,情報及び経験」を得ることができると評価しているが,II Principe『君主論』を厳しく批判していることがわかる.『君主論』については,マキアヴェリの反キリスト教的見解が特に批判され,マキアヴェリは「悪魔の悪しき手段」を『君主論』に挿入し,マキアヴェリの助言に従う者は誰もが「破滅」すると言っている.マキアヴェリは更に「有害な政治家」「専制君主」「不敬な悪漢」「自然,法,宗教の嫌悪者」「無神論の推進者」と呼ばれ,徹底して「悪の教師」たるマキアヴェリ像に批判が集中している.このようなマキアヴェリに対して,ポセヴィーノはトマス・アキナスの君主統治論を論じ,アキナスの書からマキアヴェリの「虚偽」に立ち向かうことができる言っている.マキアヴェリがなぜ痛烈にポセヴィーノに批判されたかの理由は,マキアヴェリがアキナスと著しく見解を異にしているためであった.ポセヴィーノに関しては,S.Teliusの『君主論』訳と自身の訳の比較及びアキナスの王権論との比較が今後の研究対象となる.
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