平成10年度の研究対象は英国のジェズイットであるトマス・フィッツハーバート (Thomas Fitherbert)であった。フィッツハーバートはその生涯をほとんど国外で過ごしたカトリック教徒で1613年にジェズイットになった。彼はまたリバデネイラの友人でもあった。彼は、1610年、マキアヴェリを批判した『悪には有益があるのか』(An Sit Vtilitas in Scelere)を出版したが、それはマキアヴェリを「悪の教師」とみなし、マキアヴェリ型政治は悪によって成功するのかを扱い、「自然」「哲学」「聖書」を援用しつつ「暴君」にはいかなる益があるのかと悪の便宜生を論じている。フィッツハーバートの結論は、マキアヴェリの勧める「悪」はいかなる点から見ても批判されるべきで、彼の君主への助言は無益であるばかりでなく破壊的で有害でかつばかげており、「暴政」「悪」に対する彼の説は滅びざるをえないというものである。従って、マキアヴェリの教えに従う者もまた滅びざるをえないのである。フィッツハーバートのマキアヴェリ批判は「悪の教師」としてのマキアヴェリ批判で、マキアヴェリ批判の典型である。彼が『悪には有益があるのか』を出版したのは1610年で、16世紀末から17世紀にかけてのマキアヴェリ論には否定と肯定の両論があり、時代が進むにつれ、政治の現状を直視し、マキアヴェリ的君主論に賛同を示す者が現れ始めたが、フィッツハーバートはマキアヴェリを「悪」の象徴としてとらえ、徹底した否定的マキアヴェリ論を展開している。
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