本研究の発端はジョン・ダンの『イグナテイウスの秘密会議』(Ignatius His Conclave)[1611年]であった。そこで重要な革新家としてのマキアヴェリがジェズイットのロヨラによって反論される。ロヨラがジェズイットであるという事実に注目すると、実際ジェズイットのマキアヴェリ観はいかなるものであったのかという疑問が生じてくる。それでジェズイットのマキアヴェリ批判者として当時の代表的なスペインのジェズイット、アントニオ・ポッセヴィーノとペドロ・デ・リバデネイラと英国のジェズイット、トマス・フィッツハーバートを選び、彼らのマキアヴェリ批判を吟味することにした。その結果、フランスのイノサン・ジャンティユの反マキアヴェリ論からマキアヴェリを知ったポッセヴィーノのマキアヴェリ批判は断片的でジャンティユの個人的なマキアヴェリ批判を踏襲していることが判明した。次のリバデネイラのマキアヴェリ批判は、マキアヴェリの君主論では真の君主は生まれず、ただ暴君を生み出すだけで、国家の維持にはマキアヴェリが退けた宗教と徳が絶対に必要だという道徳論的なマキアヴェリ批判である。1610年にマキアヴェリ批判を著した英国人フィッツハーバートは、ポッセヴィーノ、リバデネイラの流れを汲み、マキアヴェリの「悪」を徹底して批判する。フイッツハーバートは、マキアヴェリを「悪の教師」「暴君・暴政」の教師とみなし、「悪」がいかに「自然」「理性」「聖書」に反しているかを論ずる。「悪」による政治・支配者は必ず滅び、「悪」には神の罰が不可避であると論ずる。これらジェズイットのマキアヴェリ批判を背景にダンのマキアヴェリ観を見ると、ダンはジェズイット同様マキアヴェリの悪の教師としての側面に言及すると同時にマキアヴェリの「君主論者」と「共和主義者」の二つの相反する側面をも描き出し、ジェズイットのマキアヴェリ批判とは異なるマキアヴェリ観を提示している。
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