ルネッサンスにおける女性の表象において、男性作家による女性の表象と女性作家による女性の表象には根本的な違いがあるのではないかということがある程度理解できたことが、本年度の研究の最大の成果である。メアリ-・ロスの『マリアムの悲劇』におけるマリアムの表象には作者の女性であるが故の数々の特徴がある。それは経済的・社会的基盤を欠いている当時の女性の立場に身を自己を置いていた女性であるが故に深く理解できた女性の自律性(autonomy)の問題である。シェイクスピアも男勝りのキャサリン(『じゃじゃ馬馴らし』)や聡明で愛情あふれるポ-シャ(『ヴェニスの商人』)、あるいは美貌を備えながら強い意志を持っているクレオパトラ(『アントニ-とクレオパトラ』)などの多くの魅力的な女性を描いている。しかしシェイクスピアの女性は一個人として尊厳を持っているというより、男性社会の規範に合致した形で好ましい魅力的な女性として描かれている。それに対してメアリ-・ロスの描くマリアムには、女性が現代的な意味での「個人の尊厳」を保持しようとする時に、何に拠り所を求めるのかが探究されている。威厳ある個人であろうとしたマリアムの人物描写において、父権制社会において表裏一体のものとして求められる「謙遜」(humility)と「貞節」(chastity)が対立するものとして捉えられていることは注目される。なぜなら専制君主的な夫を持った女性にとって、社会における「常識的」美徳である「謙遜」は抑圧的なものでしかないからである。こうした女性主体の表象は「女性的想像力」の所産であると見なすことができ、多くの近代初期のイギリスの男性作家とは異なる性質の想像力である。この問題はまだ英文学研究においては十分探究されているとは言えない問題である。その解決の糸口が少しつかめたことが今年度のささやかではあるが成果といえる。
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