本研究ではE.M.フォースターの『インドへの道』のテクストの読解を通して、世紀転換期におけるイギリスの思想史、中でも変質論と母権論が文学作品の表現にどのように影響を与えているかを読み解くことを目指していた。本報告では、テクストの広範かつ詳細な読み込みから以下の精神史的状況を明らかにした。第一に、当時のイギリスにおいて従来考えられていたよりもはるかにヴィクトリアという女性君主の存在感が大きかったこと、それゆえ帝国主義の男性的要素がヴィクトリアという過剰なまでの女性的イメージに脅かされていたこと等が母権論の脈絡から明らかになった。第二に変質論の脈絡からは、変質論という社会の脅威となる他者を創造するイデオロギーに特有の権力によって、個々人をタイプという名より大きな範疇に類型化する傾向が強かったこと、この傾向は植民地において一層顕著であったこと等が明らかになった。19世紀後半に復活した推論的パラダイムという認識方法とも相まって、世紀末から言語の混乱ともいえる状況があり、それがまた変質論イデオロギーの強化にもつながっていたことも解明された。 また『インドへの道』というテクストの解釈についても以下の新しい知見が得られた。第一論文(母権論)では、ムア夫人とアデラはギリシャ神話のデメテル女神とその娘のコレの象徴を帯びていることが解明された。女神にお決まりの三相一体つまり娘、母、老婆の女性の運命の三段階を、ムア夫人とアデラは二人で象徴している。アデラは娘、洞窟のこだまを聞いて変貌する前のムア夫人は母、変貌後は死を司る老婆の、それぞれ表象である。そしてデメテルとしてのムア夫人が持つ象徴的意味は女の運命の不死性と再生であり、ペルセポネとしてのアデラは個人の生の一回性および、「生きながら死んでいる」という存在と非存在の交錯した生のあり方である。とりわけ後者は、家父長的社会における女性の生のあり方の表現であり、またその意味で家父長制的な男性支配と女性の物象化に対するフォースターの告発でもある。 第二論文(変質論)では、名と言葉という観点から読み込んで、当時一世を風靡していた推論的パラダイムと変質論イデオロギーの交錯する言語状況をテクストの背景からえぐり出し、特に植民地においてそれらが機能不全に陥っていることの象徴として「こだま」が使われていることを指摘した。さらに、作者は古代において名が持っていた力をインドに再び見出し、その力によってこだまの鳴り響く悪しき現代が救済されるという願いを作品に託していることも読み取った。 だが、これらの知見は本研究にとってまだ端緒と言ってよく、さらに『インドへの道』のテクスト以外の様々な文学テクストをも分析することで、今回得られた当時の精神史をより一般的なものへと敷衍して、世紀転換期の精神史にまで発展させることがこれからの課題である。
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