本研究の目的は、18世紀のPercy編纂のReliques of Ancient English Poetryに始まる「バラッド詩の系譜」の確立のために、19世紀バラッド詩における伝承バラッドからの模倣と独立の様相を分析し、時代のコンテクストにおけるバラッドの役割を考察することである。19世紀バラッド受容の多角的な分析のため、テニスンとキングズリーに加えて、パロディ・バラッドとゴシック・バラッドに関して二人の詩人を研究し、以下の成果を得た。 1. Tennysonのバラッド詩に見る読者意識:テニスンのリフレインの使用や固有名詞の削除という伝承バラッドの模倣は、聴衆という、詩が本来持っていたコミュニケーションの相手を作品に自ら歌い込む行為を意味する。これは、社会の産業化によって起こった詩人と聴衆・読者との乖離を克服し、失われてしまった読者を回復する手段となっている。 2. 19世紀文学批判としてのKingsleyのバラッド詩:キングズリーの作品は、テニスンやロセッティのような心理を示す模倣が見られない、純粋な物語である。これは、客観性重視という文学の姿勢に由来しており、同時代の主観的なバラッド詩への批判となっている。 3. 自己戯画化とパロディ・バラッド:19世紀のパロディ・バラッド詩の流行は文学に自己戯画化の能力があったことを示唆している。Lewis Carrollは伝承バラッドの各場面を巧みに繋ぎあわせて、ヴィクトリア朝の因習や教育の弊害を諷刺し、H.D.Traillはロセッティのバラッド詩とソネットを模倣して、伝承から二重に逸脱したパロディを創作した。 4. Davidsonのゴシック・バラッド:トマスという伝承の人物を用いたゴシック・バラッドへの逸脱は、詩の本質は意識下の無意識の表現であるというデイヴィッドソンの芸術感の実践であり、19世紀の荒廃した環境に対するアンチテーゼとなっている。
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