本研究課題の2年目にあたる今年度は、数世紀にわたって(その最たる時期は啓蒙時代であった)侮蔑にさらされたゴジック建築様式に対する新しい関心を呼び起こすに至る諸々の前提条件を研究した。 1750年頃、英国ではゴジックは極めて自然に近い様式とされていた。例えば、ゴシックの外見的特徴である尖塔アーチと丸天井は樹木と森のアナロギ-とみなされていたのである。 ゴシック建築物と深い関わりをもって英国で進められていた庭園芸術は、ウエルリッツ・パルクとヒルシュフェルトの理論的著作に媒介されて、ゲーテの芸術観に深い影響を及ぼした。しかし、周知の通り、ゲーテはイタリア旅行後はゴシックに対して極めて否定的な意見を表明している。英国式自然庭園を評価した最初のフランス人は古典主義者ラジエールである。彼は若きゲーテがそのシュトラ-スブルク論文で論難した相手であった。しかし、私はこの攻撃は不当と考えている。 当研究の第2部として、私はゲーテによるラジエール攻撃の不当性並びに詩人ゲーテの生涯における芸術観における語られざる偏見を指摘したい。若きゲーテにとって、ゴシックは神的な個人の高らかなる自己存在宣言であった。古典時代のゲーテは、すぐれて古典主義的な発想にもとづく建築理論の伝統的な観点から、この建築様式を排除した。老年に至ってゲーテはようやくその価値を認めるようになったが、しかしそれは純粋に歴史的な意味においてであった。 新しい庭園芸術の一部としてのネオ・ゴシックはそれまでのゴシックとは別のものであった。すなわち、ネオ・ゴシックはゲーテの後期の芸術観の基礎をなしたのである。彼によれば芸術は模倣ではなく第2の自然であり、そのようなものとして「借り出された存在」なのである。その後ロマン派の世代が登場する。彼らにとって芸術はより高い精神的な自然であり、その存在は「借り出された」ものではなく、無限の進歩の途上において達成されあるいは少なくとも予感されうるものである。将にこれこそがF.シュレ-ゲルの道であり課題であった。
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