表意文字である漢字が過去の漢語音を表記できないことから、漢語音韻史の研究には表音文字表記された漢語形式がしばしば利用されてきた。ウイグル文字表記された漢語もこの研究には重要な役割を担う。ここではウイグル語文献中に借用語として導入された漢語音形式の収集とその分析を予備的作業とし、ウイグル文字表記された漢語文献の同定とその漢語音の分析を記述することを主たる研究内容とした。 最近になってロシア所蔵のウイグル文献の調査研究が可能になり、研究代表者と分担者はそれらウイグル語文献の大方を直に調査することができた。そしてこれまでその存在の知られていなかった、ウイグル文字表記された漢文断片を十数葉探り当て、それらの内容が「聖妙吉祥真実名経」「四分律比丘戒本」「黄昏礼懺」であることを突きとめた。さらにベルリン所蔵の断片中には「入阿毘達磨論」のあることもわかった。それら同定できた文献の漢語音を分析した結果、これらは元朝時代に使用されたものであるが、実際には唐末ころの西北漢語音を基礎としてつくられ、本来の西北漢語音をかなりウイグル語音化し、「ウイグル漢字音」とよべる一定の体系をもった漢語音であることがわかった。しかし、その漢語音をもって漢文の内容を直下に理解することは不可能であることもわかった。一方でこの時代のウイグルには漢文訓読が存在し、漢文の内容理解には訓読をもって行っていたことが判明した。これら「ウイグル漢字音」や漢文訓読はもっぱらウイグル僧によって使用され、彼らは日本の仏僧のように漢文を「漢字音」でもって朗読し、訓読によって内容を理解したと考えられる。以上のことがらが本研究によって明らかとなった。
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