本年度は、来年度のための基礎的作業を行った。その一つとして、明治期に刊行された英語文献の翻訳においてどのような翻訳が行われているかを調べた。その場合、研究の重点は福沢輸吉の翻訳に置かれたが、それは福沢が明治思想界に及ぼした大きな影響を考えてのことである。この研究は、明治期の翻訳を通して近代日本語文体がいかに確立したかを考えるための基礎的作業である。 もう一つの研究としては、平成6年度より継続して行っている日本文学の他言語翻訳についてさらに調べた。特に夏目漱石の英語訳、ドイツ語訳、韓国語訳を調べた。漱石の「夢十夜」については、原文と翻訳とを使用して、第8夜に関する綿密なテクスト分析を行えたのは収穫であった。さらに川端康成の『雪国』を本研究の対象としたが、それは川端康成の同作品が広く他言語に翻訳されていることを考えてのことであった。今回は『雪国』の英訳、ドイツ語訳、フランス語訳の検討をした。大学院の授業では韓国人学生の助けを得て、韓国語訳の検討にも着手したが、これはまだ基礎的段階に留まっている。『雪国』の韓国語訳については、英訳のように定訳(『雪国』についてならサイデンステッカー訳)が存在せず、きわめて多くの訳が発表されているので、どの訳が最も自然で、完成されたものか、ということを韓国母国語話者の手助けを得て確定する必要があることが分かった。 以上が本年度までの「日本文学翻訳論の新しい地平」の研究成果である。その研究成果の一部は東大比較文学会編『比較文学研究』第69号「特集・翻訳」に発表された2編の論文として結実した。それらの論文は、これまで見過ごされてきた、文化間の翻訳概念の差異について指摘したものとなった。
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