本研究は日本文学の他言語への翻訳がいかなる姿をとっているかを考察することを第一の目標とし、そのために日本語表現がいかなる特質をもっているかを調査することを第二の目標とした。第一の目標を達成するために本研究者は特に夏目漱石の英語訳、韓国語訳の分析に従事した。これまでにも本研究者はその研究領域で報告をしてきたが、今回は夏目漱石「夢十夜」第八夜の分析を行い、英語訳、韓国語訳において結末部分を大幅に書き換えている例を見つけた。それは言語的な問題というよりは、文化的な差異による変更であって、文学作品の翻訳が単なる言語的変換ではないということを例証するものであった。その成果は平成8年12月に刊行された拙論「言語の間の漱石「夢十夜」第八夜--日本語・英語・韓国語テクストを比較して」に結実した。 その他に特に近代日本文学の特質を考える場合に明治期に確立した「口語文体」の問題を分析せざるをえなかったので、明治期の翻訳においていかに日本語表現が確立していったかを調査した。特にその際、研究の中心になったのは幕末期から明治期にかけて近代日本の形成に大きな役割を果たした、啓蒙思想家、福択諭吉の文体の問題であった。彼は口語文体を駆使して自己の思想を発表したことは稀であったが、口語文体使用の数少ない例として『福翁自伝』の口述筆記があり、その草稿はマイクロフイルムで見ることができたので、その調査に従事した。その成果は平成9年10月31日に北京大学で行われた「東アジア比較文学史会議」での口頭発表「福沢諭吉における文体の発見」として結実した。
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