ギルバ-ト・フォリオットの慣習法論を再構成するために、彼の書翰の中で法源論が展開されているもの、とりわけ慣習法論が展開されている箇所を抽出した結果、次の点を確認することができた。すなわち、ロンドン司教になる以前の彼の初期の書翰の中には、ローマ法・教会法に対する強い関心を示すものが多く存在するが、慣習法論に着目するならば、王権と教会の衝突の元となった1164年のクラレンドン法以後の書翰が重要でありる。とりわけ詳細な分析対象とされるべきは、1166年にカンタベリ大司教トマス・ベケットに宛てて書かれた『ムルティプリケム・ノ-ピ-ス」書翰である。 本書翰からは、ファリオットの法源論か明示的に読み取れるわけではない。しかし、「教会の自由」を主張して国王ヘンリー2世と争った大司教トマスに対する彼の激しい論難の背後には、慣習(法)についての次のような彼の基本認識を指摘することができる。それは、王自身が慣習を定めたわけではないことを強調する一方で、従来の王権と教権の間の協調関係(両者による平和と恩寵の維持)に価値を認め、愛の強い絆によって結ばれた王と祭司の相互関係に基づく平和の回復を希求するというきわめて伝統的な立場である。このような古来の慣習を重視する立場は、教会財産の世俗的所有物(temporalia)と霊的所有物(spiritualia)への区別に関する講論、教会権力の二重性(神と王による根拠付け)を説く講論の中にも見てとることができる。 12世紀を代表する高位聖職者ギルバ-ト・ファリオットの書翰を通して見る限り、教会は慣習法の法源性に否定的であったという従来の一般的理解は修正を要するというのが、本研究のさしあたりの結論である。
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