原子炉設置許可の許可基準となるところの、行政により作成された安全基準(指針)は行政規制であり「法規」ではないが、実際には外部効力のある法規としての機能を果たしている。裁判所も、この安全基準に対する審査は極めて抑制的である。今回の研究では、まず、このような安全基準(指針)の法的性格についてのドイツでの行政法における議論や、実務における基準(指針)作成過程を検討したうえで、我が国でも、安全基準(指針)の作成手続きを、その実際の機能にふさわしいものにするべきであるとの提案を行った。 以上のような問題の検討過程で、法規ではない行政規制たる基準(指針)が実際には法規たる機能を果たしていることは、もちろん法治主義原理に違背していることなどのことから、我が国の法治主義を歴史的・原理論的に再検討する機会をもつことになった。 ついで、エネルギー政策の変更や、安全基準の変更により、操業中の原子力発電所の操業許可を行政庁が取消し、もしくは撤回した場合に発生する法律問題、なかでも損失補償問題を中心に、ドイツでの議論を検討した。この問題は、チェルノブイリ原発事故以来、原発廃止の議論が高まるドイツばかりでなく、我が国においても空想的な問題ではない。 さらに、戦後ドイツにおけるエネルギー政策の歴史を、原子力を中心にしながら検討を加えた。これにより、ドイツのエネルギー政策は、その埋蔵資源を含む地理的条件のみでなく、エネルギー政策に関する政党間の対立、連邦政府と州政府の対立、アメリカのエネルギー政策等に決定的に影響を受けていることを析出しえたと考えている。この分析は、我が国のエネルギー政策の歴史を法的に検討する場合にも、重要な分析枠組みを提供してくれるものでもある。
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