本研究は二つの目的をもっていた。まず第一に、近年、比較政治学の領域における新たなパラダイムとして着目されてきた新制度論の展開について検討することであった。本研究では、まず、制度論の台頭は、従来のアクターを自明視し、その相互作用の過程(政治過程)をに力点を置く広義の行動論とは異なるアプローチを要請していること、次に、マクロな構造的・歴史的アプローチをとる新制度論の背景には、国家の問題、とくに国家-社会関係の制度的配置を重要視していること、すなわち、より学説史的な言い方をすれば、いわゆる70年代末から80年代にかけての「ステイティスト」の潮流のなかにそうした構造的-歴史的制度論は胚胎していること、さらに、そうした問題設定はすでにネオ・コーポラティズム論と関心を一部共有し、その意味でも、コーポラティズム論の意義と国家-社会関係という視座が重要である点などをあらためて確認した。 次に本研究の第二の目的は、そうした新制度論の意義の確認を踏まえて、日、米、スウェーデンといった制度編成の違う3ケ国について、そうした制度編成の相違、とりわけ国家-社会関係の制度的配置の相違が、労働市場政策をケースとした場合、どのような政策結果の相違に連動していくのか、そのパタンを類型的に把握することであった。この3ケ国は、比較コーポラティズム研究のなかで、しばしばコーポラティズムの典型例とされるスウェーデンや、コーポラティズムのミクロ化の進展とともに着目された日本、そして比較の座標で常に多元主義ないし非コーポラティズム度の高いとされるアメリカ合衆国といった一見「最も相違した事例(the most different cases)」(A・プチェヴォルスキー)であり、その「差異と類似の論理」を探求するつもりであったが、本研究では、国家-社会関係の制度的編成の観点から主としてマクロ・コーポラティズムの衰退:分権化:ミクロ化にかんして、スウェーデン、アメリカ、日本、ドイツ等のうちの「最も相違した事例(the most different cases)」にあたる2ケ国ないし3ケ国を対比させるかたちで、問題の所在を浮き彫りにするにとどまった。
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