1990年代の米国の外交は、国際的な状況変化と国内の状況変化を同時に経験した。国内の保守化は、冷戦構造の崩壊という国際的な状況と因果関係があるものの、冷戦後の国際秩序を打ち立てようとする米国の外交にとっては、マイナスに働く要因を含んでいた。 米国の保守化は大きく二つの性格を持つものに分類できる。一つは社会的保守で、1970年代から米国政治で顕著になっている勢力である。もう一つは財政的保守で、米国の政治で周期的に見られる伝統的勢力であるが、1990年代には非常に極端な議題を伴った。民主党のクリントン政権を始め、米国政治の潮流が右に動いたことで、保守はさらに極端な議題を設定することで自らの正当化をおこなう必要性を感じた。 議会の保守化は、国内政策はもとより、外交政策においても、こうした保守の議題を政策として実現する機動力となった。保守外交は、財政的には対外政策の予算削減と米国自身の強化による孤立主義的傾向、社会的には米国の価値、特にキリスト教的価値の制裁を武器とした強要という形で現れた。国内政策における議会と有権者の乖離ほどではないが、こうした外交政策は国際世論から冷戦後の秩序とは逆行するものとして批判され、秩序維持のリーダーとしての米国の信頼性に疑問も持たれる原因となった。 保守の極端な議題が、有権者の意思とは逆行して進められた背景には、共和党議会の議事運営方法も影響している。特に下院においては40年も少数派におかれていた経験から、主義のために法案を否決することが、法を成立させる多数派としての責任に優先されたことが一因となっている。2000年大統領選挙を前に、共和党は保守とは何であるかが問い直されていることは、国際社会の立場からも望ましい方向性と言えるであろう。
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