博愛的な工場経営者から社会改革家として自己改革を成し遂げたオウエンは、理想社会の形成をめざして、その原理を彫琢するとともに、アメリカのニュー・ハ-モニ-において協同村を建設することをめざしたが、しかしその試みは2年間ほどしか続くことなく失敗した。それにもかかわらず、かれの信念は露も揺らぐことはなく、かれは、その過程で個人主義的で利己的な自由競争の悪弊を回避し、お互いがお互いを「思いやる心charity」を中心とした協同の原理に基づく社会の形成、つまりニュー・モラル・ワールドの必要性を再確認し、その社会形成を教育・啓蒙活動を通じておこなっていくことを強く確信していった。 今年度の研究では、オウエンの1820年代後半期における実践と思想形成を対象とし、この時代においてかれがより以上にモラル・エコノミー(チャリティ、財の共有、公正価格)の世界に突き進んでいたことを認識するにいたった。それは、以前に考えられていた協同社会の原理を基礎にしながらも、それ以上に一歩深化したニュー・モラル・ワールドの概念を理論化し具体化する営為でもあった。そこでは、当然チャリティを培う教育・啓蒙活動こそが、その社会形成の中心になるべきであることが強調されていた。概括的には、今年度の研究でこれらの知見をえることができた。 これからの研究では、1830年代のオウエンを対象にすることで、モラル・エコノミーの構成部分である公正価格の概念を労働による公正な価格という視点から考察するとともに、財の共有を財を分かち合うつまり相互扶助という視点から考察していきたい。その後に、オウエンのニュー・モラル・ワールドの世界を纏めていきたい。
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