オウエンは、理想社会の形成をめざして、アメリカのニュー・ハーモニーにおいて協同村を建設することにつとめたが、しかしその試みは1825年から2年間ほどしかつづくことなく失敗した。その失敗にもかかわらず、かれは、個人主義的で利己的な自由競争つまり市場原理の悪弊を糺し、お互いがお互いを「思いやる心 charity」を中心としたモラル・エコノミーと協同社会の必要性をそこで再確認し、それらを教育・啓蒙活動を通じて普及させていこうと決意した。その後、失意のままイギリスに帰国したオウエンは、労働者階級の大歓迎をうけ労働運動に手を染めはじめ、ニュー・モラル・ワールドを実現する啓蒙実践活動に精力を傾けた。それが「全国公正労働交換所」の設立と「全国労働組合大連合」の運動に結実した。しかしかれは、労資が協調して新道徳世界を創るというかれの思想に反する労働運動から決別し、『新道徳世界の書』(1842年)を出版するにいたった。 本研究では、ニュー・ハーモニーの協同村建設、「全国公正労働交換所」の設立事情、「全国労働組合大連合」の運動、および『新道徳世界の書』を研究対象として取りあげ、オウエンのモラル・エコノミーの内実を研究する予定であった。しかし、時間が足りなく、「全国労働組合大連合」の運動と『新道徳世界の書』の研究はおこなうことができなかった。しかし、本研究と関連する「オウエンと全国公正労働交換所」という論文と『オウエンのユートピアと共生社会』という著作を出版するという大きな成果をえることができた。 本研究を通じて、筆者はオウエンのモラル・エコノミーの重要性を認識し、個人主義的になりがちな市場経済において、それを何らかの形で生かす必要があるという知見をえた。それは、本研究が示唆しているように、ユートピアであるかもしれないが、ユートピアなくしては良き社会への希求も社会改革への欲求もなくなる。
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