平成10年度 研究実績報告書 1973(昭和48)年に変動為替相場制が実施されて以来、ほぼ四半世紀を経過する。これまで、1960年代および70年代のそれぞれ10年間について日米経済関係の特徴点を浮き彫りにしてきたが、本年度は科研費交付期間の最終年度にあたることから、90年代の今日の状況を生み出す契機となった80年代の日米経済関係、殊にその貿易・為替相場の動向とともに、対日政策の変化の原因を明らかにするが本年度の研究課題となる。というのも、ロナルド・レーガン共和党政権の政策が、自動車を主体とする第二次産品の対日輸入抑制であったのに対して、ビル・クリントン民主党政権の政策は、現在も継続されているように、農産物を主体とする第一次産品の対日輸出攻勢に他ならないからである。 1980年代は第一次および第二次レーガン共和党政権のほぼ全期に相当し、当該期10年間における日米為替相場変動は85(昭和60)の「プラザ合意」を境として、前半のドル高と後半のドル安とに截然と二分される。一般に為替相場の高位は輸入増大および輸出減少をみちびき、その低位は輸出増大および輸入減少をみちびくとされている。確かに、80年代前半のドル高はアメリカの輸入を対日・対世界ともに増大させることになった。しかしながら、後半のドル安は一般的な理論とは著しく異なる結果をまねいた。というのもそれは、アメリカの輸出を対日・対世界ともにほとんど増大させなかっただけでなく、逆に、輸入を対日・対世界ともに増大(というより激増)させさえしたからである。それだけではない。ドル高もドル安もともに、アメリカの一貫した対日貿易・総合両収支の赤字の下で生じた現象であった。本研究はこれらの点を整合的・統一的に解明し、併せて、アメリカの対日政策転換に果たした80年代ドル為替相場変動の意義と役割を国際金融史的に位置づけようとするものである。
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