本研究の目的は、新潟県と茨城県という日本を代表する基幹農業地帯をフィールドとして、1960年代の地域振興政策と農村の変容の関連を具体的にあきらかにし、その歴史的意味を問うことにあった。 まず、新潟県の場合であるが、直接分析の対象にしたのは、新潟県小新という都市近郊農村の一農民の日記である。この日記(『西山光一戦後日記 新潟県一農民の軌跡 1951-1975年』東京大学出版会、1998年2月27日刊行)は、毎日の農作業のみならず、西山家あるいは集落で生起した様々な事柄を克明に綴っているので、本研究を遂行する上では最良の資料であった。特に1960年代の新産業都市計画の策定、新潟地震・地盤沈下に対応した復興事業展開にともない、小新集落は都市的開発の波に洗われることになった。1964年には、小新集落が進めていた農地の拡大をめざす潟の干拓は集落農民の意思によって中止され、潟の埋立・開発へと向うことは、このことを象徴していたといってよい。これ以降小新の農地は、住宅団地として、あるいは公共施設・流通センター用地として転用される方向となり、1969年の新都市計画法等もその方向を助長したことがあきらかとなった。したがって『西山光一戦後日記』を解題を付して刊行したことは、本研究の最大の成果であったと考える。 つぎに、茨城県の場合であるが、稲敷郡東町をフィールドとして、1960年代の農村の変容の歴史的意義を解明すべく分析を進めた。すでに東町役場所蔵の農業構造改善事業関係資料、新利根土地改良区所蔵資料、当時全国的にも注目された完全協同経営を含む新利根開拓農業協同組合関係資料、農民の記録である村松節夫日記等を発掘・分析し、1960年代が戦後日本農業変容の大きな画期であったことが明らかになりつつある。この分析は本年秋までに取纏め、平成11年度の科学研究費(研究成果公開促進費)の申請を行い、著書として刊行することを目指している。
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