通説的には、フランスにおける労働者の余暇問題が政治的、社会的問題となるのは、1919年の8時間法に起因すると見なされている。これによって労働者が自由時間を獲得し、その利用をめぐって「余暇の組織化」が課題となったからである。しかし、8時間労働制の成立が何故、労働者に自由時間と余暇を与え、その利用形態が社会問題となったのかについては、問題とされてこなかった。本研究の課題は、この点を明らかにするために、1906年の「週休法」と8時間労働法の関係を検討した。その詰果、8時間法が第一次大戦期に普及した「土曜半休」制とともに、日曜日週休制の実現を保障することによって、土曜の午後と日曜日を労働者に自由時間・余暇として与えたことを明らかにした。それでは8時間制の実施は、いかにして日曜の週休制を確立したのか、またその背景にあった当時の労働者の日常生活はどのようなものであったのだろうか。当時の工場労働者は、平日の労働時間が長時間(10時間)であったために、土曜の午後や日曜日に家事や買い物をせざるを得す、週休法が制定されても、商業やサーヴィス業の労働者・職員は工場労働者のこうした要求を満たすために、日曜日に働くことを余儀なくされた。ここに週休法が容易に定着し得ない要因があった。8時間法の制定によって、労働者は平日でも家事や買い物を済ませることが可能となり、土曜の午後や日曜日を自由時間として享受することが可能となったのである。さらに1906年週休法は、どのような背景の中で成立したのであろうか。そこには公衆衛生の思想、人口停滞、家族生活を重視する思想、週休制度の国際的な拡大などさまざまな影響が作用していた。本研究は、フランス革命期における「宗教的日曜日」の否定を経て、日曜日が再生する過程をこれらの影響と関連づけて明らかにした。
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