中国の経済体制改革は1994年から第二段階に入ったといえるが、そのなかで金融システムの改革は重要な位置を占めるところとなった。市場経済化が急速に進むなかでマクロ面で混乱がみられるようになってきたためである。 1989年の天安門事件で落ち込んだ中国経済が、1992年春の〓小平の南方講話でハッパをかけられると急激に過熱して、インフレ現象を引き起こした。政府は、朱鎔基副総理を中国人民銀行総裁にしてマクロ・コントロールの強化にあたらせたが、天安門事件後のような急激な景気後退がおこらないよう、ソフトランディングを目指して「適度な引き締め政策」を実施した。その結果、1994年に21.7%にもなったインフレ率を5、6%に抑えることに成功したが、この背景には金融の法制化によって、中国人民銀行を中央銀行にし、国有銀行を商業銀行化するという近代的な金融制度の構築が目指されたことがある。 本研究では、1980年代末以降を中心にして金融改革が江沢民政権が志向する安定成長とどうかかわってきたかを分析した。そして結論として、インフレ率が低下しているのは金融政策が有効に機能しているところにもよるが、やはり行政による総量規制といった措置がもっと有効であったため、インフレが再燃する要因は根本的に除去されていないとした。中国経済のなかに金融システムが有効に組み込まれていないからである。 したがって今後の研究では、国有企業改革に対応した金融システム、開放化が進む中国経済と国際金融の関わりなどを中心に進められていくことにしている。これによって中国の経済体制改革と金融改革の方向を明らかにしていきたい。
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