本研究の目的は、アメリカにおける家電流通システムとそこにおける日本の家量企業のマーケティング戦略を歴史的に研究することである。戦後日本の家電企業各社のアメリカ市場への参入は、ラジオに始まり白黒テレビ、テープレコーダー、カラーテレビなど電子機器を中心とした輸出から始まった。その時期は1950年代末から1970年代半ばまでは輸出を中心とした進出であった。日本企業が参入した1950年代から60年代初頭においては、アメリカの家電市場はRCAやゼニスを始めGE、モトローラ、エマーソン、フィルコ、シルバニア、マグナボックス、オリンピックなどの代表的な企業によってその流通システムは支配されており、日本のような系列ではないが、専売であった。ここでの流通システムは、マグナボックスとオリンピックが卸売段階を経ないで直接メーカーから小売へと販売していたのを例外として、メーカーから卸売段階、卸売段階から小売段階という2段階の比較的安定した流通システムが形成されており、日本企業のアメリカ市場への参入は極めて困難であった。しかし、1960年代に百貨店や総合小売企業(GMS)が登場し、日本から輸入される家電製品を取り扱うことによって、家電小売部門に参入し、従来の安定した2段階の流通システムを不安定なものにすると同時に、日本企業はアメリカ市場への参入の手がかりを得ることができた。 本研究では、上記の状況の分析に加えて、松下電器産業株式会社とシャープ株式会社を中心に、個別企業のアメリカ市場への参入を歴史的視点から具体的に分析した。松下電器は日本の家電メーカーとして、1959年、アメリカ市場に最初に販売会社を設立した企業であった。この販売会社を拠点にセールスレップ(Manufacturer's Sales Representative)を使い、ディストリビュータを通さないで直接ディラーに販売した。ディラーはフランチャイズ制を採用し地域ごとに指定し値崩れを防ぐなどした。この特約ディラーを開拓し販売方針を徹底するのが、セールスレップの役割でもあった。シャープは当初輸出は商社やバイヤーを通して行っていた。しかし、現地ユーザーのニーズに合った商品企画やキメ細かいアフターサービスを展開し、安定した売上げの拡大のためには現地に自社販売網を作る必要があった。そこで1962年にアメリカのニューヨークに現地販売会社を設立し、トランジスタラジオと白黒テレビを中心とする販売を展開し、業績を確実の伸ばした。シャープも松下電器同様セールスレップを積極的に活用した。
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